Retocosは、離島の耕作放棄地を開墾し、島民によって大切に育てられた植物をコスメへと再生することで、人々が自然と共生しながら暮らせる、持続可能な未来の創出を目指しています。
ロゴマークには、島の豊かな恵を通して人を健やかにし、島と人がつながっていくことで、人口が減少している島を活性化させていきたい。そんな思いを込めています。
佐賀県の最北端に位置する島。早春には椿の花、7月にはユウスゲの花が咲き誇ります。古くから朝鮮との交流が深く、韓国の古代国家「百済」の第25代王「武寧王(ムリョンワン)」がこの島で誕生したと言われています。
呼子港の沖約500mに位置し、玄界灘の荒波から港を守る天然の防波堤の役割を果たしている島。佐賀県内で最も古い佐用姫神社があり、特産品として甘夏や加工した甘夏ゼリーなどが有名です。
神功皇后が出兵の際に神々を集めて海の安全と戦勝を祈ったことから神集島と名付けられました。万葉集に神集島で詠われた歌が7首もあることから「万葉の島」とも呼ばれています。
仏教徒とカトリック教徒がほぼ半分ずつ住んでいる馬渡島。新村には、昭和4年に平戸から移築した美しい木造の教会があり、本村では夏に綱引きや盆踊り、祇園祭などの行事がたくさん行われているコミュニティ豊かな島です。
漁港の近くには、天主堂松島カトリック教会が建ち、ほぼ全ての島民がカトリック教徒である島。1隻の船に乗り協力し合う海士漁が今も行われており「島の宝100景」に選ばれています。
かつて豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に物見番所として重用されていた島。標高67mに立つ灯台は、船舶の海標として多くの船を見守ってきました。灯台下の瀬は潮の流れが良く、絶好の磯釣り場として有名です。
江戸時代、捕鯨基地として栄えた島。鯨業が衰退した後も豊かな海の資源は変わらずに存在し、現在はイカ漁が行われ、島の人々の暮らしと産業を支えています。
唐津城から約2キロの沖合に浮かぶ人口約300人の島。島の主な産業は漁業ですが、宝くじが当たると評判の宝当神社があり、ご利益を求めて多くの観光客が訪れます。